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Untitled

パソコンのバックアップを取り込んでいてふと5年以上前の写真が流れ込んできた。そこには愛しい今はいない子が溢れていてわたしは涙があふれて息ができなくて石を飲み込んだように動けなくなってしまった。その姿が見れることは魔法のようなすばらしいことなのにやっぱりまだこころのからだの中に大きな石のようにある。宝箱にしまえなくて、しまう術がいまだにわからない。しまわなくてもいいのだけど一緒に生きたいと思うのにままならないことが多い。むかし、好きなひとが「長生きしましょうね」といった。もうきっと覚えてないだろうけど合言葉のように繰り返したそれもわたしはちいさな小石のように今も持っている。それは飴玉のようにときどき口の中で転がしたりする。人間の言葉のほうが意味はわかるだろうに不確かなこともあるから味がしたりしなかったりだけどその石もまたわたしを生かしている。写真のあの子のまんまるとした瞳はひかりだった。眩くてわたしはまっすぐみようとがんばったけど、後悔があるからまだ未だに泣かずには見ることができない。生きると死ぬとわかるとわからないがなだれ込んでしまうところから抜け出せない。しぬほど考えたけどわからない。今もまだ表面で潜りたいのに潜れないところがあるわたしは絵を描くひとだから描かなきゃと思うのだけどその後悔や言えること、言えないことの寄るべないかなしさの上に何をしたらいいのかぽかんとあれから驚くことにわからないのだ。それでも、ひかりをみたいと思ってしまう、あのときの言葉をまだもってる矛盾と一緒に。

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